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今日の名言! わたしはアヘラが嫌いだ。 -ジミー厚顔中年 2010年7月21日7時56分(#22832)2 ├
金貸しビジネスの二極分化のお話 -SSN-K64 2010年7月21日11時38分(#22838)3 │└
改革の不徹底が停滞を生むという言説の非論理性 -SSN-K64 2010年7月22日9時53分(#22880)2 │ ├
どうでもいいのだが数万字おそらく数十時間使う行為は精神疾患の問題では -バグ以上の人間がいた驚愕、十三郎 2010年7月22日16時17分(#22884) │ │├
それ行け、キモいぞ1・2の十三郎! -SSN-K64 2010年7月23日14時57分(#22923)3 │ ││└
この文章を読んであげたが、他人とコミュニケーションをとれないから仕事がないのでは(本文なし) -亜江良十三郎 2010年8月1日9時17分(#23440) │ ││ └
凄い投稿量だね。それでホントに仕事してるの?(本文なし) -SSN-K64 2010年8月3日2時47分(#23561) │ ││ └
いえいえ、あなたの数万字書く熱意に比べたら、一日15分以下ですよ。(本文なし) -この情熱にかないません十三郎 2010年8月3日8時24分(#23571) │ │├
キミへなラブレターだ。読んでやれ(^▼▲▼メ^)y-~~~<(だから読んでいない)(本文なし) -チャチャイ 2010年7月31日0時28分(#23349) │ ││└
その時間、大川先生の本を読み、笑う方が、精神のためになるでしょう(本文なし) -総裁は偉大だ。お笑いとして、おじゃる 2010年7月31日11時6分(#23379) │ │└
おれは読んだぞ -ヘコタイ 2010年7月31日0時32分(#23352)2 │ │ └
すごいね。。尊敬する。忍耐力に。同情するならレスをやれ(家なき子)(本文なし) -亜江良十三郎 2010年8月1日13時45分(#23464) │ │ └
オレは、おまいみたいな奴がいちばん嫌いだが -ヘコタイ 2010年8月3日11時34分(#23577) │ │ └
話しかけた記憶も、会話した記憶もないので、まとわりつかないでくれんか -何人かは、記憶がごちゃになってる十三郎 2010年8月3日12時51分(#23584) │ ├
ss-yahoo 信用会社. -3234 2010年7月30日21時47分(#23337) │ ├
こういうのをなんというのかなあ -ヘコタイ 2010年7月31日0時17分(#23348) │ │└
*** 投稿者削除 *** -SSN-K64 2010年8月3日2時59分(#23560) │ │ └
「論語読みの論語知らず」では? -SSN-K64 2010年8月3日2時58分(#23562) │ │ └
「論語読みの論語知らず」、これは君にそのままお返ししよう -ヘコタイ 2010年8月3日4時21分(#23565) │ └
当たり前のことだ -次郎 2010年8月3日3時36分(#23564) └
キミが40こえ一日数十回書き込む無職になったのは私のせいであない -亜江良十三郎 2010年7月22日7時2分(#22871) └
そうか、アヘラはイジメを受けてたのか。それでわかった。 -ジミー厚顔中年 2010年7月22日17時52分(#22888)3 └
馬鹿にされ破滅しそうな人生立て直しを優先した方が本当にいいと思う(本文なし) -親切な忠告亜江良十三郎 2010年7月22日20時33分(#22891)
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| 投稿者 | : ジミー厚顔中年 |
| 登録日 | : 2010年7月21日7時56分 (#22832) |
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| わたしは、なめくじとアヘラが嫌いだ。 (夏目漱石『文豪』第三章、二行目) |
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| 投稿者 | : SSN-K64 |
| 登録日 | : 2010年7月21日11時38分 (#22838) |
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| (記事番号 #22832へのコメント) 私も彼は嫌いだけど(少なくとも政治討論に参加するにしては、態度が不真面目だし謙虚 でもないから)、十三郎クンの言いたいことって、文章や文体が下手くそで異様に分かり 難いんだけど、根が単純だから分からないでもないんだよね。だから、万一賛同者が出て しまった場合に備えて、きちんと反論しておく。 現在の日本の銀行ビジネスに対する批判だけど、彼が社会派マスコミ人士を名乗っている 通りに、何でも黒白でレッテル付けたがる連中にとっては、それは当然のものなのだろう 。だけど、なぜ銀行と商工ローンや住専やサラ金が並存してたのか、それを考えれば多少 は納得もできるはずなんだ。彼らマスメディアの記者さん達の多くは、人文系(社会学部 とか)が多そうだから、プリンシパル・エージェント問題や逆選択などの情報の非対称性 に関する現代の標準的な数理経済学なんかよくは知らないのだろう。 金貸しの二極分化の意味とは、換金可能な実物担保を取って低利で貸すリスク回避のビジ ネスと信用貸しで二つに一つは破綻覚悟で追い貸しもするリスク許容の高利貸しビジネス との違いなんだ。前者は、勿論、銀行(や証券会社)などの預金保全を要する安全重視の ビジネスで、基本的に無担保融資はしない。不況で担保価値が下がれば、すぐにも追加担 保(追証)を要求し、相手の信用不足が露呈すれば取引中止も辞さない。後者は、典型的 な街金(高利貸し)ビジネスで、長年のカンだけでなく大手は保険ビジネス並みのの確率 論で勝負する。要するに破産は日常茶飯だけど、破産してない連中から絞り取れれば、プ ラマイゼロでOKとする、ある意味、保険型ビジネスなわけだ。 ここまでは従来の経済学(旧来の金融論)でも説明可能で陳腐な解説だけれども、スティ グリッツらによって提唱された新しい金融理論では、この後者の保険ビジネスじみた確率 論の詳細な検討がなされているんだ。情報の経済学で研究された保険理論でいう「モラル ハザード」や「不利益(逆)選択」「プリンシパル・エージェント(代理人)問題」なん かのキーワードが頻出する。 そこで市場の二分割問題で重要なのが、「不利益選択」。これはノーベル賞受賞学者によ る「レモン(不良中古車)の市場」を研究した古典的な業績が有名だけれども、この研究 で情報の非対称が極端な市場(要するに相対取引の一方が圧倒的に情報劣位にある市場取 引)では、市場そのものの淘汰がなされる(市場自体が消滅する)という帰結を得てる。 これこそ「ミドルリスク・ミドルリターン」市場の不可能性の問題なんだ。 なぜ、中間(ミドル)市場は淘汰されるてしまうのか?まずは銀行にとって顧客が信用で きる場合、その顧客は既に安全融資を得られているはずで、担保のない(担保が既設定で 追加担保を出せない)新規融資希望者は、全て担保信用力の劣る顧客だと見なせる。従っ て銀行は金を貸せない。ならば街金業者にとって、その顧客は、銀行融資を断られた他の 顧客と同様に、当たるか外れるかどちらか不明の不安定な顧客なわけだから、高利貸しは 当然になる。 ここでミドル市場を模索する新規業者(信金)が市場参入してきたら、どうなるだろうか 。信金は地場の情報通だから、ミドルリスクを選別できるとする。だけど、そもそも銀行 から排斥された顧客は、そうでない顧客と較べて破綻する確率が異なるわけではない。た だ単に担保が不足してるだけだ。さらにミドルリスクとはいえ、担保不足で銀行から排除 された顧客は破綻すれば融資は全額焦げ付くケースが多い。ならば、個別の融資は全損を 見込まなければならなくなる。それだと、確率的に一律高利貸しをしなければ、損失リス クを補填できない。だから、ミドル市場は淘汰され、全てが高利貸しビジネスに統合され てしまうわけだ。 これは机上の空論ではなくて、経験的にも実証された理論なんだ。なぜそうなってしまう かは、お金と商品の交換法則と景気変動にある。つまり、商品は景気が悪くなって売れな くなるとすぐには現金化できないし、景気変動はまだ克服されていない社会病理だってこ とだ。そういう環境下だと、担保能力の低い零細中小企業はすぐに資金ショートを起こし て、黒字倒産を起こす。企業が倒産すると、担保不動産などの資産売却が連鎖的に増え、 それが益々担保価値の下落を生む。だから、不況下では狡すからい銀行ビジネスも多少は 回収不足が生じる。 だから、金貸しのミドル市場など、それこそ机上の空論なんだ。金貸しビジネスには融資 保全率が高い良質な取引と、それが高くは無い(それこそピンきりだが、大抵は損切りで きずに悪あがきを続けるので、倒産してしまえば2割回収でも御の字なケースが大半)危 険な取引とに二分されてしまうわけだ。その線引きは、事業の内容(そんなもの、決定因 子が多すぎ運頼みで当事者を含めて誰も確実な評価などできない)でもオーナーの倫理意 識でもなくて、担保価値が健全で銀行融資枠に余裕があるかどうかなんだ。不況による少 々の値崩れが生じても、担保不足を起こさないだけの余裕資産のある顧客とそうでない顧 客。それに二分されてしまう。 これは、ある意味では情報の非対称の問題ではなく、情報が全く当てにならない市場の問 題だろう。倒産確率はともかく事後の事業精算による回収確率など個別では見分けがつか ないから、担保の有無で選別せざるをえない。ミドルリスクとは倒産確率であって、担保 回収確率ではないんだ。だから、リスク選好が生じない。それは要するに、倒産確率の選 好による市場選別は機能しないってことだ。 この程度は現代の経済学では、学部レベルの常識であって、街金業者はともかく銀行ビジ ネスを営むものが、これを理解していないほうがどうかしている。だからミドルリスク・ ミドルリターンの余地ありなどと強弁する論者は、所詮は街金レベルでしかないんだ。街 金レベルならば、10%の金利などといってないで、経験から導き出された15%やそれ 以上の高利貸しを実践しなければならない(だけど法定上限の金利15%が手数料にまで 拡張されたら、ほとんどのグレービジネスが破綻するのは確実だろう)。彼らは銀行から 取引拒否された担保不足の顧客しか相手にできないリスク許容ビジネスの実践者なのだか ら。 それとは別に規模の選別に関しては、銀行にはほぼ厳密な階層(都銀→地銀→第二地銀→ 信金→信組)があって、それでほぼ全てが網羅されているから、新規なビジネス・モデル の介在する余地は元々小さい。それは非銀行の高利貸しビジネスにだっていえる。だから 売上げ金が10億円どうこうという十三郎クンの話は、それこそ妄想の産物(それか信金 は銀行ではないと言い出す金融のド素人か)なのだ。 |
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| 投稿者 | : SSN-K64 |
| 登録日 | : 2010年7月22日9時53分 (#22880) |
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| (記事番号 #22838へのコメント) 小泉元首相らの主張した構造改革論を支持する論者の論稿は、情理に訴えるばかりで論理 形式を踏まえない俗悪なものばかりだと多くの論者に指摘されてきたのだが、その代表的 な事例がアエラ氏の論稿に見受けられたので、いい機会だから詳細に検討しておこうと思 う。 アエラ氏が提起した「改革の不徹底が(社会の)停滞を生む」という命題は、一見すると 疑問の余地ない真理だ思える。だが、この命題は真ではありえない。なぜならば、この命 題の対偶を取って、その真偽を検討してみれば、偽であることが自明のことだからだ。ち なみに対偶とは、ある命題の主客を反転させた上で両者を否定形にした派生命題のことで 、必ずしも真理とはならない逆命題や裏命題とは違って、当初の命題自体が真理であれば 、対偶命題が必然的に真理となる(対偶が真理でなければ命題も真理ではない)ことがア リストテレス以来の論理学で証明されている。 さて、当初の命題の対偶は「(社会の)停滞を生まないのは、改革が徹底された場合のみ だ」である。この命題が議論の余地なく真理だと判定でききれば、元の命題は間違いなく 真理である。だが、この命題は果たして真理と言えるだろうか?そもそも停滞を生まない 社会などが歴史上存在するのかどうかが極めて疑わしいのだが、その点は問わないにして も、改革の徹底が社会の停滞防止の必要条件であるとするこの論理は、改革の徹底が必ず しも社会の停滞を完全防止するとまでは主張していない(改革の徹底は停滞防止の十分条 件ではない)ので、一見すると真理に思えなくも無い。 だが、この論理は改革が徹底されなくとも停滞しない社会の可能性を完全否定している点 で強引なものであることが分かる。もし当初の制度や組織がほぼ完璧な社会ならば、改革 などしないほうが社会の停滞を阻止できるかもしれないし、喩え瑕疵のある制度や組織と いえども、それらの改革などせずとも、社会の停滞を逃れる可能性があるからだ。社会の 停滞の原因が制度疲労ではなく、構成人員の質的堕落にあるのであれば、教育や宣伝によ って人心を初心に戻すのも停滞を防ぐ一つの手法だろう。つまり、改革の徹底は社会の停 滞防止の十分条件ではないどころか、必要条件でさえない可能性もあるのだ。 従って、この対偶命題は必ずしも真理とはいえない。であれば、当初命題自体も必ずしも 真理とはいえないことは自明なのだ。つまり、「改革の不徹底が(社会の)停滞を生む」 という当初命題は、停滞の原因分析を軽視している点で疑問の余地があり、厳密に真偽判 定すれば、偽命題だとする他はないのだ。この命題の論旨を真理にしたいのであれば、「 改革の不徹底が(社会の)停滞を生むこともある」というように、より結論を曖昧にして 帰結の可能性を広がせる必要があるのだ。この修正命題であれば、制度や組織に改革の余 地や致命的な瑕疵があるのであれば、その社会は改革を徹底しないことで、停滞する可能 性があるという、しごく当たり前のことを論じているに過ぎないから、それを否定する材 料はないからだ。それならば、議論の余地なく真理命題だと断じることができる。 ここまで長々とつまらない説明を続けたが、要するに、アエラ氏は議論の余地がある命題 を何ら説明もせずに、さも真理であるかのように主張することで、議題全体をミスリード しているのだ。これは、果たして真理を追究する真っ当な論者として正しい態度であろう か?私の視点では、こういった態度こそ「論理の飛躍」という批難に値する行為以外の何 物にも見えない。こういった行為を自ら犯していながら、他者の言説の論理飛躍性を指摘 することは、「目糞鼻糞を笑う」の喩えもあるように、甚だ滑稽なことではなかろうか? |
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| 投稿者 | : バグ以上の人間がいた驚愕、十三郎 |
| 登録日 | : 2010年7月22日16時17分 (#22884) |
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| (記事番号 #22880へのコメント) ノムヒョンがいて、韓国人も大変と思ったら、鳩山がでてきて、上には上がいると驚愕し た。 呪詛の言葉だろうが(だから読んでいない)を数万字、おそらく数十時間使う行為は、 精神疾患の問題に分類されるのではないだろうか。仕事もないのではないだろうか。 数十万字を書き続けるバグ氏の異常性に驚愕したが、上には上がいるもんだ。 友達も相談できる人もいないだろうが(いただこんな行動はしないだろう)、もし通常人 が周囲にいたら、自分の一連の投稿を読んでもらって意見をもらったらどうだろうか。 普通の生活に戻る第一歩になると思う。 |
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| 投稿者 | : SSN-K64 |
| 登録日 | : 2010年7月23日14時57分 (#22923) |
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| (記事番号 #22884へのコメント) 長すぎて尻切れトンボのタイトルだけでなく、ハンドル名にも自己主張を入れるのは、誰 にもレスを開いてもらえない嫌われ者の知恵なのか?おじゃる以上にキモいぞ十三郎! 他人のうざ長い投稿を開いては、いちいち文字数を確認する閑があるなら、自分の投稿を 少しは推敲してくれ。必ず一箇所は誤字脱字があるのは、どういう趣向なんだ。見苦しい ぞ十三郎! 長くても、せいぜい300字足らずの投稿で、よくもまあ、毎度毎度、人格の卑劣さを吐露で きるものだ。お前さんのほうこそ、友人に見せても平気なのか?十三郎! 正体?発覚を怖れて、文体を変えてると自称するのは結構だが、こんな閑散板では誰も注 目してないぞ。それでも良いのか?自称普通人の1・2の十三郎! |
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| 投稿者 | : 亜江良十三郎 |
| 登録日 | : 2010年8月1日9時17分 (#23440) |
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| (記事番号 #22923へのコメント) |
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| 投稿者 | : SSN-K64 |
| 登録日 | : 2010年8月3日2時47分 (#23561) |
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| (記事番号 #23440へのコメント) |
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| 投稿者 | : この情熱にかないません十三郎 |
| 登録日 | : 2010年8月3日8時24分 (#23571) |
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| (記事番号 #23561へのコメント) |
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| 投稿者 | : チャチャイ |
| 登録日 | : 2010年7月31日0時28分 (#23349) |
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| (記事番号 #22884へのコメント) |
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| 投稿者 | : 総裁は偉大だ。お笑いとして、おじゃる |
| 登録日 | : 2010年7月31日11時6分 (#23379) |
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| (記事番号 #23349へのコメント) |
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| 投稿者 | : ヘコタイ |
| 登録日 | : 2010年7月31日0時32分 (#23352) |
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| (記事番号 #22884へのコメント) あの程度の量を読みこなせなくてどうする? 読んで、一撃喰らわせてやれ。「十三郎」の名が廃るぞ! |
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| 投稿者 | : 亜江良十三郎 |
| 登録日 | : 2010年8月1日13時45分 (#23464) |
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| (記事番号 #23352へのコメント) |
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| 投稿者 | : ヘコタイ |
| 登録日 | : 2010年8月3日11時34分 (#23577) |
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| (記事番号 #23464へのコメント) SSなんとかという奴は少しは議論できそうだから書いてやったまで。 おまいを助けるつもりはさらさらない。 |
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| 投稿者 | : 何人かは、記憶がごちゃになってる十三郎 |
| 登録日 | : 2010年8月3日12時51分 (#23584) |
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| (記事番号 #23577へのコメント) つまり、どうでもいいので、何人かがごちゃになっている。 この掲示板もどうでもいいけど。 |
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| 投稿者 | : 3234 |
| 登録日 | : 2010年7月30日21時47分 (#23337) |
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| (記事番号 #22880へのコメント) ss-yahoo 信用会社. 夏季来て、当店のたくさんの商品は大いに値下がりします 詳しい情況、当店夏季商品特価専区を見てください。 その他に: 最近当社は多くの新型の商品を添加しました。 ☆注文金額15000以上:贈る送3500円の商品 ★注文金額20000以上:贈る送S品財布 ☆注文金額30000以上:贈る送6000円の商品 ★注文金額5万以上:贈る送10000円の商品 上記の内容についてご不明な点、または記載されていないご質問も お気軽にお問い合わせくださいませ。 ■□■URL:http://www.ss-yahoo.com □■□店長:伊藤葵 ■□■連絡先:ss_yahoo@188.com |
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| 投稿者 | : ヘコタイ |
| 登録日 | : 2010年7月31日0時17分 (#23348) |
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| (記事番号 #22880へのコメント) こういう輩の説明を聞くと”糞ったれが”が叫びたくなるよね。 そもそもことばによる「表現の不完全性」はだれもが避けて通れ ない以上、ある命題の表現をやり玉にあげて”非論理性”を指摘 してみせたところで、どれほどの価値があろう?、というものだ。 事象そのものには切り込みもしないで、ただ表現の不完全を ”非論理性”と指摘しているに過ぎない。 かかる思考態度からは、新しい表現、新しい哲学はまず生まれない であろうな。 |
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| 投稿者 | : SSN-K64 |
| 登録日 | : 2010年8月3日2時59分 (#23560) |
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| (記事番号 #23348へのコメント) *** 投稿者削除 *** |
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| 投稿者 | : SSN-K64 |
| 登録日 | : 2010年8月3日2時58分 (#23562) |
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| (記事番号 #23560へのコメント) >こういう輩の説明を聞くと”糞ったれが”が叫びたくなるよね。 再読してみたが、確かに「糞ったれ」な文章だった。まわりくどくて簡潔でない悪文の見 本だ。だが貴殿は、枝葉末葉を気にして本質を問わない意の表題を連想したのだと思うけ ど、その連想は誤解というか誤読だろね。 >そもそもことばによる「表現の不完全性」はだれもが避けて通れない以上、 >ある命題の表現をやり玉にあげて”非論理性”を指摘してみせたところで、 >どれほどの価値があろう?、というものだ。 「文章表現の不完全性を指摘すること」と「ある命題の非論理性を指摘すること」とは同 義ではない。前者は修辞(文学)の問題で、後者は論理(哲学)の問題だからだ。従って 、ある論者が命題(「AはBである」という断定文)を提示した以上、その真偽を問われ るのは是非ないことだ。そして、命題の真偽を問うために形式論理学の手法を採ること( 対偶検討や背理法による証明)は、論理の正当性を問うのならば当然のことだ。 さらに、命題自体に「表現の不完全性」といった曖昧性を認めることは、絶対に肯定でき ない。いわゆる「排中律」を認めてしまっては、そんな代物は命題とは言えなくなるから だ。また、論稿内で「AはBである」と断定することは、その命題は疑う余地のない真理 だと論者が考えていると見なされても仕方がないだろう。その命題を仔細に検討してみて 、それが明らかな真理でないとすれば、その不用意さは批判されるべきだ。 >事象そのものには切り込みもしないで、ただ表現の不完全を”非論理性”と >指摘しているに過ぎない。 ある文章を挙げて「これは命題として成立していない」と批判したのであれば、事象その ものに切り込まない形式批判に過ぎないだろう。だが、私は命題自体を解析して、その内 容の真偽を疑問視したのだから、ただの形式批判ではない。また、事象そのものにも多面 的に切り込んでいる。最初に対偶命題の中身を検討し、次に当初命題の中身を検討してい る。その上で、この命題は条件付きでなければ真理などではなく、前提条件そのものを検 討しなければミスリードを招くと批判したのだ。 >かかる思考態度からは、新しい表現、新しい哲学はまず生まれないであろうな。 私の悪文のせいで、内容をよく理解できなかったのだろうが、それにしても反論形式に論 理学的な手法を採っただけで、それは形式批判だと見なされるとは思わなかった。一般的 な日本人がいかに論理学が苦手で、それを軽視しているかが分かろうというものだ。 東洋思想的に文学と哲学を混同するのは結構だが、貴殿の認識こそが文明を近代化できな かった東洋世界が西洋世界に遅れをとった最大の理由を端的に表している。前近代的な哲 学思考からは、新しい文学表現はともかく、新しい論理哲学は生まれない。近代科学が西 洋世界で生じたのは、西洋思想の素地にアリストテレス以来の論理学が存在したからだ。 故事成語の「矛盾」と「パラドックス」の本質的違いに気付かなかった東洋思想から近代 科学は、永久に生じないだろう。 |
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| 投稿者 | : ヘコタイ |
| 登録日 | : 2010年8月3日4時21分 (#23565) |
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| (記事番号 #23562へのコメント) 議論の元は「改革の不徹底が(社会)の停滞を生む」、この文章だな。 そして、「改革の不徹底が(社会の)停滞を生むこともある」と書くの であれば君は許されるというのだな。 改革の対象は制度ばかりとは限らないし、よくできた制度ならいじらな い方がいい場合だってあるからと、君はいう。また、制度を運用する人 間の質の問題をも考慮しなければならない場合もあるからと。 ところで、一般的に政治課題を議論する場合、”改革”というとき、そ の対象は法制度もあれば、制度の運用の問題もあるし、人員の質の問題 もある。そして国の政治課題の場合は、この3つの要素は常に一体とな って改革の必要性を孕んだ問題として政治の場に登場する。君のように、 改革の対象をかってに「制度」だけに絞って論を展開して、それ以外の 因子のあることを挙げて、命題の真偽性を論じても始まるまい。 かっての国鉄や電電公社がそうであり、最近の郵政がそうである。年金 制度問題もそうである。その他諸々の社会保障制度がそうであろう。 改革とは、かかる現実の大きな政治課題にメスを入れようとすることで あるが、このとき”改革”が中途半端では運用者、受益者双方に混乱が 生じるから、この混乱はまさに”社会の停滞”であろう。 もちろん、改革は一部の者にとって不利益をもたらすこともあるが、多く の人々にとって利益となるのであるなら、改革の断行は価値がある。 君はアリストテレス以来の論理学の思考不足が日本の科学や政治を停滞さ せてきたようにいうが、その論理学がどれほどの飯のタネになったとい うのか。具体の政治課題の解決になんの役に立ってきたというのであろうか。 そんな屁の突っ張りにもならない”論理学”は大学の門を出た途端、煙と 消えてしまう代物ではないのか。そんなもんをありがたく思っている者に 上記の表現の違いを大仰に述べられても、”糞ったれが”という思いは 変わらないね。 SSN-K64さんは No.23562「「論語読みの論語知らず」では?」で書きました。{#23562} >>こういう輩の説明を聞くと”糞ったれが”が叫びたくなるよね。 > >再読してみたが、確かに「糞ったれ」な文章だった。まわりくどくて簡潔でない悪文の見 >本だ。だが貴殿は、枝葉末葉を気にして本質を問わない意の表題を連想したのだと思うけ >ど、その連想は誤解というか誤読だろね。 > >>そもそもことばによる「表現の不完全性」はだれもが避けて通れない以上、 >>ある命題の表現をやり玉にあげて”非論理性”を指摘してみせたところで、 >>どれほどの価値があろう?、というものだ。 > >「文章表現の不完全性を指摘すること」と「ある命題の非論理性を指摘すること」とは同 >義ではない。前者は修辞(文学)の問題で、後者は論理(哲学)の問題だからだ。従って >、ある論者が命題(「AはBである」という断定文)を提示した以上、その真偽を問われ >るのは是非ないことだ。そして、命題の真偽を問うために形式論理学の手法を採ること( >対偶検討や背理法による証明)は、論理の正当性を問うのならば当然のことだ。 > >さらに、命題自体に「表現の不完全性」といった曖昧性を認めることは、絶対に肯定でき >ない。いわゆる「排中律」を認めてしまっては、そんな代物は命題とは言えなくなるから >だ。また、論稿内で「AはBである」と断定することは、その命題は疑う余地のない真理 >だと論者が考えていると見なされても仕方がないだろう。その命題を仔細に検討してみて >、それが明らかな真理でないとすれば、その不用意さは批判されるべきだ。 > >>事象そのものには切り込みもしないで、ただ表現の不完全を”非論理性”と >>指摘しているに過ぎない。 > >ある文章を挙げて「これは命題として成立していない」と批判したのであれば、事象その >ものに切り込まない形式批判に過ぎないだろう。だが、私は命題自体を解析して、その内 >容の真偽を疑問視したのだから、ただの形式批判ではない。また、事象そのものにも多面 >的に切り込んでいる。最初に対偶命題の中身を検討し、次に当初命題の中身を検討してい >る。その上で、この命題は条件付きでなければ真理などではなく、前提条件そのものを検 >討しなければミスリードを招くと批判したのだ。 > >>かかる思考態度からは、新しい表現、新しい哲学はまず生まれないであろうな。 > >私の悪文のせいで、内容をよく理解できなかったのだろうが、それにしても反論形式に論 >理学的な手法を採っただけで、それは形式批判だと見なされるとは思わなかった。一般的 >な日本人がいかに論理学が苦手で、それを軽視しているかが分かろうというものだ。 > >東洋思想的に文学と哲学を混同するのは結構だが、貴殿の認識こそが文明を近代化できな >かった東洋世界が西洋世界に遅れをとった最大の理由を端的に表している。前近代的な哲 >学思考からは、新しい文学表現はともかく、新しい論理哲学は生まれない。近代科学が西 >洋世界で生じたのは、西洋思想の素地にアリストテレス以来の論理学が存在したからだ。 >故事成語の「矛盾」と「パラドックス」の本質的違いに気付かなかった東洋思想から近代 >科学は、永久に生じないだろう。 |
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| 投稿者 | : 次郎 |
| 登録日 | : 2010年8月3日3時36分 (#23564) |
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| (記事番号 #22880へのコメント) SSN-K64さんは No.22880「改革の不徹底が停滞を生むという言説の非論理性」で書きまし た。{#22880} >小泉元首相らの主張した構造改革論を支持する論者の論稿は、情理に訴えるばかりで論理 >形式を踏まえない俗悪なものばかりだと多くの論者に指摘されてきたのだが、その代表的 >な事例がアエラ氏の論稿に見受けられたので、いい機会だから詳細に検討しておこうと思 >う。 > >アエラ氏が提起した「改革の不徹底が(社会の)停滞を生む」という命題は、一見すると >疑問の余地ない真理だ思える。だが、この命題は真ではありえない。なぜならば、この命 >題の対偶を取って、その真偽を検討してみれば、偽であることが自明のことだからだ。ち >なみに対偶とは、ある命題の主客を反転させた上で両者を否定形にした派生命題のことで >、必ずしも真理とはならない逆命題や裏命題とは違って、当初の命題自体が真理であれば >、対偶命題が必然的に真理となる(対偶が真理でなければ命題も真理ではない)ことがア >リストテレス以来の論理学で証明されている。 > >さて、当初の命題の対偶は「(社会の)停滞を生まないのは、改革が徹底された場合のみ >だ」である。この命題が議論の余地なく真理だと判定でききれば、元の命題は間違いなく >真理である。だが、この命題は果たして真理と言えるだろうか?そもそも停滞を生まない >社会などが歴史上存在するのかどうかが極めて疑わしいのだが、その点は問わないにして >も、改革の徹底が社会の停滞防止の必要条件であるとするこの論理は、改革の徹底が必ず >しも社会の停滞を完全防止するとまでは主張していない(改革の徹底は停滞防止の十分条 >件ではない)ので、一見すると真理に思えなくも無い。 > >だが、この論理は改革が徹底されなくとも停滞しない社会の可能性を完全否定している点 >で強引なものであることが分かる。もし当初の制度や組織がほぼ完璧な社会ならば、改革 >などしないほうが社会の停滞を阻止できるかもしれないし、喩え瑕疵のある制度や組織と >いえども、それらの改革などせずとも、社会の停滞を逃れる可能性があるからだ。社会の >停滞の原因が制度疲労ではなく、構成人員の質的堕落にあるのであれば、教育や宣伝によ >って人心を初心に戻すのも停滞を防ぐ一つの手法だろう。つまり、改革の徹底は社会の停 >滞防止の十分条件ではないどころか、必要条件でさえない可能性もあるのだ。 > >従って、この対偶命題は必ずしも真理とはいえない。であれば、当初命題自体も必ずしも >真理とはいえないことは自明なのだ。つまり、「改革の不徹底が(社会の)停滞を生む」 >という当初命題は、停滞の原因分析を軽視している点で疑問の余地があり、厳密に真偽判 >定すれば、偽命題だとする他はないのだ。この命題の論旨を真理にしたいのであれば、「 >改革の不徹底が(社会の)停滞を生むこともある」というように、より結論を曖昧にして >帰結の可能性を広がせる必要があるのだ。この修正命題であれば、制度や組織に改革の余 >地や致命的な瑕疵があるのであれば、その社会は改革を徹底しないことで、停滞する可能 >性があるという、しごく当たり前のことを論じているに過ぎないから、それを否定する材 >料はないからだ。それならば、議論の余地なく真理命題だと断じることができる。 > >ここまで長々とつまらない説明を続けたが、要するに、アエラ氏は議論の余地がある命題 >を何ら説明もせずに、さも真理であるかのように主張することで、議題全体をミスリード >しているのだ。これは、果たして真理を追究する真っ当な論者として正しい態度であろう >か?私の視点では、こういった態度こそ「論理の飛躍」という批難に値する行為以外の何 >物にも見えない。こういった行為を自ら犯していながら、他者の言説の論理飛躍性を指摘 >することは、「目糞鼻糞を笑う」の喩えもあるように、甚だ滑稽なことではなかろうか? 小泉構造改革を徹底しても 結果が良くなるかどうかは分からないし 大体 小泉構造改革が詳細に示されている訳でもない |
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| 投稿者 | : 亜江良十三郎 |
| 登録日 | : 2010年7月22日7時2分 (#22871) |
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| (記事番号 #22832へのコメント) 40超えて女性と話したこともない素人童貞であるとか。 年金生活者の親のせわをうけていることとか、 小学校時代からいじめをうけたとか、 派遣義理にあったとか、 つとめたとこrでばかにされたとか。 学歴がないとか。 生活保護が打ち切られたとか。 友達がいなくて話すひとがいないとか。 私とかんkいありません。 現実に向き合いなさい。 |
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| 投稿者 | : ジミー厚顔中年 |
| 登録日 | : 2010年7月22日17時52分 (#22888) |
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| (記事番号 #22871へのコメント) 亜江良十三郎さんは No.22871「キミが40こえ一日数十回書き込む無職になったのは私の せいであない」で書きました。{#22871} >40超えて女性と話したこともない素人童貞であるとか。 >年金生活者の親のせわをうけていることとか、 >小学校時代からいじめをうけたとか、 >派遣義理にあったとか、 >つとめたとこrでばかにされたとか。 >学歴がないとか。 >生活保護が打ち切られたとか。 >友達がいなくて話すひとがいないとか。 >私とかんkいありません。 > >現実に向き合いなさい。 ずいぶん苦労したんだね、アヘラも。 |
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| 投稿者 | : 親切な忠告亜江良十三郎 |
| 登録日 | : 2010年7月22日20時33分 (#22891) |
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| (記事番号 #22888へのコメント) |