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記事No.22880(No.22838へのコメント) トピック(元記事及び応答)
タイトル 改革の不徹底が停滞を生むという言説の非論理性
投稿者 SSN-K64
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登録日 2010年7月22日9時53分
小泉元首相らの主張した構造改革論を支持する論者の論稿は、情理に訴えるばかりで論理
形式を踏まえない俗悪なものばかりだと多くの論者に指摘されてきたのだが、その代表的
な事例がアエラ氏の論稿に見受けられたので、いい機会だから詳細に検討しておこうと思
う。

アエラ氏が提起した「改革の不徹底が(社会の)停滞を生む」という命題は、一見すると
疑問の余地ない真理だ思える。だが、この命題は真ではありえない。なぜならば、この命
題の対偶を取って、その真偽を検討してみれば、偽であることが自明のことだからだ。ち
なみに対偶とは、ある命題の主客を反転させた上で両者を否定形にした派生命題のことで
、必ずしも真理とはならない逆命題や裏命題とは違って、当初の命題自体が真理であれば
、対偶命題が必然的に真理となる(対偶が真理でなければ命題も真理ではない)ことがア
リストテレス以来の論理学で証明されている。

さて、当初の命題の対偶は「(社会の)停滞を生まないのは、改革が徹底された場合のみ
だ」である。この命題が議論の余地なく真理だと判定でききれば、元の命題は間違いなく
真理である。だが、この命題は果たして真理と言えるだろうか?そもそも停滞を生まない
社会などが歴史上存在するのかどうかが極めて疑わしいのだが、その点は問わないにして
も、改革の徹底が社会の停滞防止の必要条件であるとするこの論理は、改革の徹底が必ず
しも社会の停滞を完全防止するとまでは主張していない(改革の徹底は停滞防止の十分条
件ではない)ので、一見すると真理に思えなくも無い。

だが、この論理は改革が徹底されなくとも停滞しない社会の可能性を完全否定している点
で強引なものであることが分かる。もし当初の制度や組織がほぼ完璧な社会ならば、改革
などしないほうが社会の停滞を阻止できるかもしれないし、喩え瑕疵のある制度や組織と
いえども、それらの改革などせずとも、社会の停滞を逃れる可能性があるからだ。社会の
停滞の原因が制度疲労ではなく、構成人員の質的堕落にあるのであれば、教育や宣伝によ
って人心を初心に戻すのも停滞を防ぐ一つの手法だろう。つまり、改革の徹底は社会の停
滞防止の十分条件ではないどころか、必要条件でさえない可能性もあるのだ。

従って、この対偶命題は必ずしも真理とはいえない。であれば、当初命題自体も必ずしも
真理とはいえないことは自明なのだ。つまり、「改革の不徹底が(社会の)停滞を生む」
という当初命題は、停滞の原因分析を軽視している点で疑問の余地があり、厳密に真偽判
定すれば、偽命題だとする他はないのだ。この命題の論旨を真理にしたいのであれば、「
改革の不徹底が(社会の)停滞を生むこともある」というように、より結論を曖昧にして
帰結の可能性を広がせる必要があるのだ。この修正命題であれば、制度や組織に改革の余
地や致命的な瑕疵があるのであれば、その社会は改革を徹底しないことで、停滞する可能
性があるという、しごく当たり前のことを論じているに過ぎないから、それを否定する材
料はないからだ。それならば、議論の余地なく真理命題だと断じることができる。

ここまで長々とつまらない説明を続けたが、要するに、アエラ氏は議論の余地がある命題
を何ら説明もせずに、さも真理であるかのように主張することで、議題全体をミスリード
しているのだ。これは、果たして真理を追究する真っ当な論者として正しい態度であろう
か?私の視点では、こういった態度こそ「論理の飛躍」という批難に値する行為以外の何
物にも見えない。こういった行為を自ら犯していながら、他者の言説の論理飛躍性を指摘
することは、「目糞鼻糞を笑う」の喩えもあるように、甚だ滑稽なことではなかろうか?

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親記事 コメント
金貸しビジネスの二極分化のお話 -SSN-K64 どうでもいいのだが数万字おそらく数十時間使う行為は精神疾患の問題では -バグ以上の人間がいた驚愕、十三郎
ss-yahoo 信用会社. -3234
こういうのをなんというのかなあ -ヘコタイ
当たり前のことだ -次郎


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